セザンヌ

 外語大で行われたセザンヌのシンポジウムを聞きに行った。飛田給駅についてトイレに寄ったら、トイレの前に子供連れの家族がいた。子供を抱いていたお母さんは子供をお父さんに預け、お父さんは多目的トイレへ、お母さんはすぐさま男子トイレの個室に直行した。トイレから出て女子トイレの方を見ると、人が並んでいる気配。緊急避難としての利用だったのか、真相はわからないが少し驚いた。

 シンポジウムでは、「カード遊びをする人々」を巡る松浦寿夫氏の発言が面白かった。連作の多くでは、プレイヤーの手札は、観客には見えないように描かれているが、一点だけ一人のプレイヤーの手札が観客に見えている作品があると。そのとき観客の視点は、自らの手札を見つめるプレイヤーと同じであるのか、それとも全てを見通す視点を持つ存在と同じなのか、更には絵を観る存在として別の第三の視点にあるのかなど問いは尽きない。三人のプレイヤーが存在する作品では、後ろに立ってゲームを見守る人物が見られる。同じモチーフの別バージョンでは、右側の低い位置で子供も観戦に熱中している。これらの人物を比喩的に解釈することも可能だろう。絵画を巡るスケールの大きな問いが引き出されうる、可能性を感じた。