教育について

 教育について語る者(もしくは教育者)の教育については、不問に付されることが多い。教育について語ることで、教育について語る資格を保持していると見做されるという、転倒した構造がそこにはある。美術に関して言うならば、教育について語る者も語らざる者も、等しく他者の作品を観ることで、自らを再教育することができる。私は、この作品を理解していないという認識こそが、自らを教育するためには必要であり、また、そこからしか、観ることは始まらない。