カメラになった男 写真家 中平卓馬

シネマアートン下北沢で、「カメラになった男 写真家 中平卓馬*1を観る。この映画は、アルコール中毒で記憶を失った後、実家のある横浜に生き、毎日写真を撮り続ける中平を記録したものである。病状はすでに回復の一途にあり、昔の写真や友人、新しく刊行された写真集に記載された自身の年譜など、記憶の痕跡を辿る状態に達している。中平の一日は、朝起きて、朝食を食べ、電話で時報を聞きながら時計の針を合わせることから始まる。前日に合わせた時間がその日も合っていると、無邪気に喜ぶ姿が印象的だ。映画を観ていると、中平が、回復の過程で記号的な細部を頼りに、自己の再生を試みていることが察せられる。年譜から「私・横浜に・生き始めて」という自らが生きる上で依って立つ、基礎的な発語を獲得し、同時に、横浜に建つ、赤白に色分けされた煙突や鉄塔から、自分の身につける服装の色を選ぶ。CASA BLANCA*2と名のついた、白い建物の用途がアイスクリーム屋から、別のものに変わったことを訝り、芝生に座った白い猫を真直ぐに撮影する。写真集では、それらが互いに関連づけられるように配置されており、写真化された記号を用いて自身の言葉を組み直しているようにも思われる。そのため、中平の撮る写真には、周囲の余計な景色は写り込まない。被写体は、写真家にとっての正確さの基準に従って切り取られ、無駄のない記号的実体をあらわにしている。そこでは、写真という、統一した視線を獲得するための機能性が括弧に入れられ、私的言語と一般記号とが互いに混淆したようなイメージが産出されている。映画の後半で、中平は「芸術新潮」からの依頼を受けて、琉球へと撮影に赴く。琉球では懐かしい顔ぶれに出会う。政治の季節に、事件となった写真を巡って共闘した人達がいる民宿に泊まり、毎日撮影に出かける。「写真の記憶 写真の創造 東松照明と沖縄」と題された、東松の展覧会に合わせて行なわれたシンポジウムに出席し、「写真の記憶」・「写真の創造」という言葉に執着するようにこだわり、東松や荒木に写真によってどのように沖縄の問題を考えるつもりなのか、と詰め寄るシーンでは、記憶を失う以前から続く、終始一貫した写真家としての生き方を提示しており、見事である。中平は、かつて著書の中で、「写真によって自己を解体し、再創造する」*3という意味のことを述べている。自らが発した言葉に、忠実に符合するような写真と人生に刮目する。

http://www.art-museum.city.yokohama.jp/calendar/leaf2003/ex03a04/index2.html

*1:小原真史監督作品

*2:スペイン語で「白い家」。中平は大学時代、スペイン語を専攻していた。

*3:<「受容的」であるとは世界に向かって私を開くこと、世界に私を晒すこと、そして進んで私を解体させる勇気をもつということである。だが、この解体を通してしか私を再創造することもできないのだ。それは主体に対する世界の侵害を率先して求めてゆくということである。「受動的」であることと「能動的」であることはここの一点において統一されるはずである。世界は客観的なものではなく、私は堅牢なものでもない。相互に浸透し合う白熱する磁場、それが世界である。>『決闘写真論』